ありがとう 今までずっと
【追記】
若干(というかめちゃんこ)ネガティブっぽい書き方してますけど!!!!!!
8割以上は公演前に書いた文章で、十五祭初日&オーラス入って聴きたい曲も見れてファンサも貰って何の後悔もないスッキリした気持ちで投稿したシンプルな決意表明なので!!!!!!!!!
それを踏まえて読んでね!!!!!!
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2009年12月
「新堂本兄弟」に出演して、遠征先のホテルでペイチャンネルを付けてしまう渋谷すばるを見たところから始まった、eighterとしての人生。
母の影響もあって、ジャニーズのライブに行くのは初めてじゃなかったけど、2009年から私は関ジャ二∞と一緒に色々な"初めて"を過ごしてきた。
"初めて"自分のお小遣いからファンクラブに入った。
郵便局での支払い方法を知った。
"初めて"貯金していたお年玉でアルバムの初回スペシャル盤を買った。
CDショップへの電話予約も、ATMからお年玉を引き出す方法もここで知った。
"初めて"ケータイを使ってCD購入特典を応募した。
応募からイベントまで、機種変更をしてはいけないことを知った。
"初めて"1人で高速バスとホテルを予約して、1人で大阪まで行った。
高速バスは渋滞もするし大阪の駅は迷子にもなるし、時間には余裕を持って行動しなきゃいけないことを知った。
"初めて"1人で、住むところも年齢も違う同志に会った。同じ人達を応援する仲間が沢山いることの楽しさを知った。
"初めて"東京ドームでアイドルに会った。
"初めて"自分で取ったチケットは、二階スタンド後列、バクステ正面。距離は遠かったけど、ライブの雰囲気を知れて、思う存分楽しめる場所。推しが作り上げてくれる「空間」の楽しさを知った。
"初めて"家族以外と一緒にライブに行った。
同じテンションで楽しんで、終わったあとに一緒にご飯を食べながら感想を語り合う熱さを知った。
"初めて"バンドサウンドに出会わせてくれた。
気になり始めたきっかけは冒頭のペイチャンネルなんだけど、その数日後(だったはず)に地上波で放送された、少クラPremiumクリスマスSP。
エイトと国分太一くんのセッションによる「ローリング・コースター」。
あの時から、ジャニーズ事務所所属、関ジャ二∞がつくるバンドサウンドの虜になってしまった。
当時中学生だった私は、同級生の影響もあってRADWIMPSやBUMP OF CHICKEN、ELLEGARDENなんかもオススメされて聴いたけど、思い返せば結局どれも、ここまで熱意を持って何年もずっとハマり続けることはなかった。
バンドサウンドだけでなく、他の趣味も。
そして2010年8月25日。
「LIFE〜目の前の向こうへ〜」リリース。
私はそこで初めて、関ジャ二∞がバンドサウンドでシングルを出したと知った。
もうとっくに出しているものだと思っていたから。
当時Mステに出演していた時の感想は、正直微妙、だった。
名だたるバンドやアーティストが出演するMステで聴くと、さすがにキャリアと実力の差が出てしまうんだな、と思った。
でも、「微妙」と思ってしまったにもかかわらず、やっぱり1番印象に残ったのはすばるくんだった。
ギターのかき鳴らし方、歌声、表情…
全てが私に刺さった。
人はこうして、圧倒的存在感に魅了された時に宗教にハマってしまうのかもしれないと思った。頭悪い感想で申し訳ない。
ただ、この瞬間からもう渋谷すばるの虜だった。
気付けば授業中はノートの空きスペースに歌詞を書き、「関パニ」での頭にタオルを巻きジャージTシャツ姿のすばるくんのイラスト(全然似てない)を書き続けた。
中学時代のノートを見返すとほぼ全ページにいる。そして授業で先生が言ったポイントを話してくれてる。そのおかげもあってか成績が爆上がりした。ありがとうすばるくん。(絶対違う)
この記事を読んでる人は多分私のTwitterのフォロワーさんだと思うけど(それ以外の皆さんこんな駄文をありがとうございます)
お気付きかと思いますが
私、丸山担を名乗っていましたよね?
それに関して一つここでお伝えしたいことがあります。
すみません、わたし、
「渋谷すばると一緒に奇行を繰り広げる丸山」担
でした!
今更って感じ。
ということに気付いたのも、ここ一年。
すばるくんが関ジャ二∞から居なくなってからで。
この一年、6人の関ジャ二∞としての活動といえば、6人体制での新曲「ここに」から始まり、ずっと続いているレギュラー番組と特番、それからドラマ出演、主題歌シングルリリース。
決して少なくない。
はずなんだけど。
すばるくんが居なくなってから、明らかに観なくなった。
録画は続けているけど、ほとんど「未再生」の表示がある。
「関パニ」を見続けていた理由でもあるんだけど、やっぱり私はジャニーズなのにおかしい行動をする彼らが大好きで、その筆頭はすばるくんと丸ちゃんだったんだと思う。
丸ちゃんだけじゃなく、ヨコも、ヒナちゃんも、ヤスも、亮ちゃんも、おーくらも。
みんなと、すばるくんとの相互作用で生まれる笑いが私は大大大大大大大好きだった。
もちろん今の関ジャ二∞も言動は相変わらずだし、クロニクルも(たまに迷走してるけど)観ればやっぱり面白くて。
でも。
でもなんだ。
純粋に、楽しいと思えなくなってしまった。
一瞬場が白けてしまう瞬間は昔からあったはずなのに
「きっと今すばるくんだったらこんなボケをかまして、それを村上さんがどついて…まるちゃんが便乗してふざけて、くらりょが笑って、ヤスがとぼけて、それを見てヨコが嬉しそうに………」
そんなことを毎回考えてしまう。
2018年7月15日。
どうしてもレポとかWSで間接的には知りたくなくて、どうしても自分の目で6人の初日を見届けたくて行った札幌ドーム。
その日に投稿された自分のインスタには
「6人の覚悟を感じた」
「前向きになれた」
「また会いに行く」
そんなことが書かれていた。
それから一年たった今。
決断をした男と背中を押した男たちの覚悟に影響されただけだった事に気付いてしまった。
私には覚悟が足りなかったんだって。
6人で歩き始めて一年。
すばるくんも動き始めた。
けど私のeighterとしての歩みは、2018年7月9日に1度止まった。そして、そこからまた歩き出せていなかった。
今回、十五祭オーラスに入る。
その前に、東京初日に入った時に、決めた。
2019年9月3日。関ジャ二∞から、離れます。
私は茶の間に戻ります!
今日を最後に、ここまで10年近くずっと近くにあった関ジャ二∞から離れることにしました!
ここから関ジャ二∞が、内くんが、そしてすばるくんがどうなるかは、分からない。
(内くん、オーラス見学来てたね…楽しんでたね…良かった…)
十五祭東京初日に入った時点で、何かありそうな気がした。
正直、悪い方向かな?と思っていたけど。
オーラス、ダブルアンコールまでみて、まだまだ続いていく旅路があると分かった。
でも、私が関ジャ二∞と一緒に歩く旅路はここまで。
最後の挨拶で「これからも僕達と一緒に」って言葉に、声を出せなくてごめんなさい。
2009年に出会ってから、かけがえのない青春とたくさんの"初めて"をありがとうございました。
これからも6人と、2人のそれぞれの幸せを願っています。
愛してくれて、ありがとう!
2019.09.03